★手術当日〜後半〜。

手術中の家族の控え室では

主人と私、そしてお互いの両親が居ました。

 

家族控え室は携帯の電波は入りません。

おそらく手術室が近いため電波を発しないように圏外になるのだと思います。

「手術が終わったり、何かあったときに鳴らします」と病院から渡されたPHSのみが電波が入る状態です。

 

狭くて窓もなく音もない家族の控え室にいると、気が滅入りそうになるので、

交代で外にお昼ご飯を食べに出たりなど、息抜きをします。

 

昨晩一睡もしていないのに全く眠くならない不思議。

時間が過ぎるのがとても遅く感じ、

心臓を止められてしまった娘が今どのような状態なのか、本当にまた心臓が動き出してくれるのか、そればかりが心配で仕方ありませんでした。

「心臓を止めていられるのは3時間が限界」

と執刀する先生よりお話を聞いていたので

その3時間が気になり時計を何度も見ます。

 

全員が交代の昼食を済ませ、夕方もう一度外に順番に出ました。

私は病院内のカフェで入院日記を書いていました。

手術時間は約7時間でさらに長丁場も予想されると聞いていたので、まだまだだなと思っていたその時、

私の携帯電話が鳴りました。

 

家族控え室にいる母からです。

 

娘に何かあったのではと震える手で電話を取ります。

母からの声は予想外に明るく大きな声で

「手術終わったって!!今すぐ戻ってきて!」

 

と。早すぎる!!

時計はまだ15:30でした。

 

慌てて部屋に戻ると、執刀してくださった先生が直接手術が終わったと言いにきたとのことでした。

先生が手術の場を離れてるということはもう安心だと聞きました。

 

何故こんなに早く終わったのか

期待と不安が混じる中、

picuという子供の集中治療室

の待合室に移動するように言われます。

 

娘が無事帰ってきたこと。

手術が終わったこと。

集中治療室に移動できたこと。

何よりも嬉しく私たち3家族はpicuに入る前の待合室で「よかった」「本当に良かった」と

何度も言い合います。

 

少し離れたところにもう1家族が看護師さんと一緒にやってきました。

毎日こうして子供の命を預かり、手術が行われているのだと先生の存在がとても尊く有り難く思います。

 

30分ほど待ち、2人ずつ面会が出来るように鳴り、主人と私でまず娘に会いに行きました。

 

そこには沢山の管で繋がれ、裸のまま

胸の傷が赤く線に引かれていて酸素マスクを当てられながら、それでも一生懸命呼吸をしている娘の姿が在りました。

 

私達はその姿を見ただけでまた涙が止まらなくなり、「よく頑張ったね」「おかえり」と何度も何度も繰り返し娘に言いました。

 

先生がやってきて手術のお話をしてくださりました。

 

「穴は思ったより大きくなく、

当初、2箇所穴を開けて手術する予定が1箇所開けるだけで対応できた。

弁は三尖弁以外の2つは変形をしていて手を加えたが人口のものは使わずに済んだ。

結果、3つから逆流していた穴は2つに塞がり残り1つは逆流が見られるが量は少なくなった。

心臓を止めている時間は2時間弱と短く済み、

もうこれ以上できることはないと思い閉じた。

出血量も多くなく、不整脈もなく良好。」

 

とのことでした。

「ありがとうございます」と何度も涙のまま伝えました。私たちにとっては神様以上の存在でした。

 

picuに居られる時間は初日は家族全員で15分

と言われていたので娘をもっと見ていたかったけれど、待合室に戻り交代をしました。

 

そしてそこで、先ほど後からpicuの待合室に入ってきて少し離れたところに座っていたご両親のお子さんは今日の手術で亡くなってしまったということを知ってしまいました。

 

その事にこの日1番泣きました。

 

同じ日に同じ場所で手術を受け、

同じように子供の帰りを祈りながら待っている夫婦。

その辛さは本当に痛いほど分かります。

 

そして少し離れた場所とはいえ、知らなかったとはいえ娘の帰りを喜んでしまっていた自分たちを激しく後悔します。

娘の無事を手放して喜ぶことももう出来ずこの日は重い気持ちのままマクドナルドハウスの部屋に戻りました。

 

命の重さを痛いほど感じた今日のこの日を私は生涯忘れません。

 

憑き物が落ちたようにベッドに倒れ込みそのまま眠りにつきました。