PICU〜地獄の4日目〜。
昨晩の悲惨な娘の姿を見てしまったため、PICUの面会時間が始まる14:00までの時間が長く感じます。
何をしていても落ち着かず、娘の辛さを思うと泣けてくる時間でした。
側にいて慰めてあげることも出来ないなんて。
時間になり慌てて皆で面会に行くと
ドレーンが抜けていました。
私自身も同じように手術をした方のブログを沢山拝読させて頂き、
ドレーンが抜けることが回復の最初の目安
と書かれていたので嬉しくなりました。
絵本を読んであげるくらいしかできないので
PICUに沢山置いてある絵本を交代に読む。
全く表情の無くなってしまった娘。
16:00になり一度出され、
17:00からの面会に戻ると
なんと1番見ていて痛々しかった
首からのCV中心静養カテーテル(針)が抜けていました!!
この針が抜けると一般病棟に帰れると聞いていたのでいよいよ明日には帰れるのではないかと期待が大きくなります。
夕方になると眠くなってきたせいもあるのか、
昨日以上に大暴れ。
「バイバイ!バイバイ!」とこの場所をバイバイしたいと大泣きし出す。
手足拘束も「バイバイ」と取りたがります。
私はこの子の親なのに助けてあげられないことが辛くてまた一緒に泣いてしまいます。
あまりの暴れように鎮静剤を投与され眠りつきました。
起きないことを確認し私達もマクドナルドハウスに帰りましたが、明日一般病棟に戻れる気がして荷物をまとめ、
明日からまた付き添い入院で大変になるから今日のうちに沢山寝ておこうと思い早めに就寝しました。
PICU〜地獄の3日目〜。
久しぶりにお家での朝を迎え
この上ない幸せを噛み締めながら
PICUの面会が始まる14:00まで時間が贅沢なほど沢山あるのでのんびりと過ごします。
娘が産まれ親になってから
こんなにも長く1人の時間を過ごした事がなく
逆に何をしたらいいのか、何をしていても贅沢に感じられました。
私は駅前の百貨店に行き、退院へ向け病院の方々へのお礼の菓子折りをいくつも買いました。主人と昼食を久しぶりに家で済ませ、病院へ向かいます。
昨日は面会時間をフルに使うことはなく
(娘を起こしてしまったら大変だと思ったため)
この日もまた起こさないように見守ろうと思ってPICUの娘のベッドに向かったところ・・
なんと娘が起きてる!!
ベッドの背もたれの角度調整により体が起きていてDVDがついた画面をただただ何の感情も持たない目で見ている娘の姿が在りました。
私たちは驚いて娘の名前を叫んで走って行きます。
そこで私たちに気付いた娘がポロポロと涙を流しました。
大泣きするわけでもなく、歯をくいしばって静かに泣いてるんです。
私達にもう会えないと思っていたようで
(目が覚めたら自分の身体がベッドにぐるぐる巻きにしばりつけられていて動くことが出来ず、
パパもママもそこには居なくて
知らない人だらけだったらそう思うに決まってます。
DVDを1人で見ていたその目は間違いなく絶望していた目でした。どれだけ怖かったか今も想像すると胸が痛みます。)
会えたことで緊張の糸が緩んでの涙でした。
娘は何も言葉を発することなく涙を流した後はまた死んだような目に戻りました。
祖父母達が面会に現れて、2人ずつしかPICUに入れないため、順番に娘に会いに行きます。
心を閉ざしてしまった娘に病室にある絵本などを読んだりしますがただじっと本の絵を見つめてるだけで娘は何の反応も見せません。
picuには人形やDVD、オモチャなど
名前を書けば持ち込むこともそのまま置いておくこともできます。
このようにベッドにくくりつけられていて腕すら動かすことのできない状態ですので
オモチャは不要かと思います。
DVDはベッドを動かして体を起こしてもらえれば見ることが出来ます。
もちろんpicuにもアンパンマンやわんわんなど子供の好きなDVDは取り揃えてあります。
ですがそれよりも何よりも
心のケアが最重要課題だと思いました。
16時になり面会時間が終わってしまったので一旦私達は出ます。
そして17時になり戻ると、今度は先ほどの静かな心を閉ざした娘ではなく、
より意識がハッキリしてきた娘がパニックになり大泣きを始めます。
「アンパンマン!アンパンマン!アンパンマン!」と狂ったように叫びながら大泣きを始めます。
どんなになだめてもそれは収まらず
今までギャン泣きなどしたことがなかった娘の姿にビックリするとともに、
「娘や子供達がアンパンマンを好きな理由。」
ピンチの時に必ず助けに来てくれるアンパンマン。
必死にアンパンマンを呼ぶ娘に私もなだめながらどうしてあげることも出来ずただただ一緒に号泣する事しか出来ませんでした。
だんだんと「アンパンマン」が「ママ!」に変わり「アンパンマン!アンパンママ!」と混ざっていきました。
こんなに辛そうな娘を見るのが初めてで
何もしてあげられない無力な自分が親として情けなく辛く、人生で一番辛かった日でした。
こんなに泣き叫んで喉も乾くだろうに
鼻から胃まで通した管で流動食を流し込まれるだけで
「picuでは一切食べ物・飲み物は禁止」
です。
寝てる状態ならまだしも
こんなにも意識がはっきりしていて動けるのに手足固定して動くことができない。
喉も乾くのに一切飲み物も与えて貰えない。
点滴や沢山のお薬での栄養のみ。
本当に可哀想です。生き地獄だと思います。
あまりに興奮して暴れ出した娘だったので
危険だと思った看護師さんに薬で強制的に眠らされます。
面会時間ギリギリまで21時までその寝顔を見て私達は病室を後にしました。
体を動かすことが傷の治りや心臓への負担というのであればpicuにいる間はずっとお薬で眠らせておいて欲しい。心からそう思いました。
PICU〜2日目〜。
手術当日がPICU1日目なので
PICU2日目からの記事となります。
手術の日まで毎日娘に付き添って病室で一緒に寝ていましたが、
手術日から娘はPICUに場所を移したため、個室は完全にチェックアウトをしなくてはならず、
沢山のオモチャもお洋服も全て敷地内のマクドナルドハウスに移しお部屋を完全に空にします。
(この作業はなかなか大変でした。)
昨晩初めてマクドナルドハウスに宿泊し、あまりの快適さに感動します。
夜中に他の病室の赤ちゃんの泣き声やナースコールで起こされることも、見回りの看護師さんに起こされることも、朝日で起こされることもなく、朝まで真っ暗、無音でふかふかのベッドで眠れることがどれだけ幸せなことか噛み締めます。
(※病室の付き添いですと肩幅程度しかない横幅の、固い折りたたみベッドなので長期の入院はなかなか体も辛いです(>_<))
ただし携帯の着信音は「最大限」で寝ます。
というのも、手術後は容体が不安定です。
急に何か異常が起きるかもしれない。
心臓の大手術をした直後です。
何があっても不思議ではありません。
なのでPICUの方にも
「何かあったらお電話しますのでいつでも電話を取れるようにしておいてください」
と言われていました。
なので私たちは頻繁に携帯をチェックし、
時計を見て「術後◯時間が経過した、1番危険な時間は過ぎたね」とか「術後◯時間まであと少しだね」と言い合っていました。
本当は術後の娘にずっと付き添っていたい。
だけどPICUでの面会時間が決められていたのでそれは叶わず、ただ急変にはすぐに駆けつけられるように家には帰らないで、敷地内のマクドナルドハウスに泊まることにしていました。
幸い、朝まで携帯電話がなることはありませんでした。
「連絡が何もないということは無事ということ」
私たちは娘が無事に朝を迎えられたことがとても嬉しく何日ぶりかの清々しい朝を迎えます。
PICUの面会時間は
14:00〜16:00
17:00〜21:00
でした。
(16:00〜17:00の間は当直の方との入れ替わりの申し送りなどで入れないみたいです。)
午前中はお部屋に入ることができないので
子供を出産してから初めてなんじゃないかというくらいの長い時間をゆっくり過ごす事になります。
早く娘に会いたくて14:00が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
14:00になり私達は娘のいるPICUに飛んでいきます。
眠ったままで相変わらず管だらけの娘でしたが、呼吸器が外れていて自分で呼吸が出来るようになっていました。
加湿器のような蒸気が出るものが口に当てられていて呼吸を助けてくれているみたいです。
首に思いっきりささった注射針(そこからお薬をいれているみたいです)
鼻から胃まで通っている管がなんとも痛々しい。
それでも何より娘が生きていることが嬉しく、
沢山話しかけたりします。
そこでアクシデントが!!
なんと、主人が耳元で娘の名前を何度も呼びかけたらその声に反応して目が覚めてしまったのです!!
激痛なのか娘は大泣き、看護師さんが慌ててやってきて薬によりまた眠らされます。
眠っていても声は聞こえるようです。
話しかけるのは要注意ということが分かりました。
頭を撫でるのすら怖くなってしまいました。
その後、眠っている娘に対して特にすることがなくなってしまったので一度退出し、
また17:00に出直しました。
そこで看護師さんから
16:00に流動食(鼻の管から胃に流動食を流し入れるみたいです)が始まり、吐いたりせず食べられたとのこと。
私たちはそれを聞いて安心し、眠った娘を優しく撫で、PICUを後にしました。
そうなんです、入院して初めて
家に帰ることにしました。
家に帰るのは娘が退院するときだと思ってはいたのですが、娘に変に声をかけてまた起こしてしまっては大変で、やる事もないですし、
次の日のPICUの面会時間も14:00からなので、
マクドナルドハウスに泊まるより
家に帰った方がいいという結論になりました。
手術は成功し、
PICUでの術後の経過も順調で流動食も問題なく始まり、私たちは最高に幸せな気持ちで車に乗り込みました。
帰りに夜ご飯としてしゃぶしゃぶ屋さんに寄り、2人でお祝いをしました。
娘を出産してから2人で食事をすること自体も久しぶりですし、何より産んでからずっと心につっかえていた心臓病の手術が無事終わり、娘も順調ということでこんなに幸せな気持ちは本当に久しぶりでした。
私たちはハイになっていました。
家に帰ってからも大はしゃぎでした。
そして幸せを感じるとともに、
娘のいない家は静かで広くて
また3人で帰ってきたいと思いました。
だけど私達はまだこの時は知りませんでした。
本当の地獄はこれからだということに。
はい、間違いなくPICUでの日々が人生で一番辛かったです。辛くて辛くて娘の前で大泣きしました。
PICUは子供とっても親にとっても、
とても大変で覚悟のいる場所でした。
★手術当日〜後半〜。
手術中の家族の控え室では
主人と私、そしてお互いの両親が居ました。
家族控え室は携帯の電波は入りません。
おそらく手術室が近いため電波を発しないように圏外になるのだと思います。
「手術が終わったり、何かあったときに鳴らします」と病院から渡されたPHSのみが電波が入る状態です。
狭くて窓もなく音もない家族の控え室にいると、気が滅入りそうになるので、
交代で外にお昼ご飯を食べに出たりなど、息抜きをします。
昨晩一睡もしていないのに全く眠くならない不思議。
時間が過ぎるのがとても遅く感じ、
心臓を止められてしまった娘が今どのような状態なのか、本当にまた心臓が動き出してくれるのか、そればかりが心配で仕方ありませんでした。
「心臓を止めていられるのは3時間が限界」
と執刀する先生よりお話を聞いていたので
その3時間が気になり時計を何度も見ます。
全員が交代の昼食を済ませ、夕方もう一度外に順番に出ました。
私は病院内のカフェで入院日記を書いていました。
手術時間は約7時間でさらに長丁場も予想されると聞いていたので、まだまだだなと思っていたその時、
私の携帯電話が鳴りました。
家族控え室にいる母からです。
娘に何かあったのではと震える手で電話を取ります。
母からの声は予想外に明るく大きな声で
「手術終わったって!!今すぐ戻ってきて!」
と。早すぎる!!
時計はまだ15:30でした。
慌てて部屋に戻ると、執刀してくださった先生が直接手術が終わったと言いにきたとのことでした。
先生が手術の場を離れてるということはもう安心だと聞きました。
何故こんなに早く終わったのか
期待と不安が混じる中、
picuという子供の集中治療室
の待合室に移動するように言われます。
娘が無事帰ってきたこと。
手術が終わったこと。
集中治療室に移動できたこと。
何よりも嬉しく私たち3家族はpicuに入る前の待合室で「よかった」「本当に良かった」と
何度も言い合います。
少し離れたところにもう1家族が看護師さんと一緒にやってきました。
毎日こうして子供の命を預かり、手術が行われているのだと先生の存在がとても尊く有り難く思います。
30分ほど待ち、2人ずつ面会が出来るように鳴り、主人と私でまず娘に会いに行きました。
そこには沢山の管で繋がれ、裸のまま
胸の傷が赤く線に引かれていて酸素マスクを当てられながら、それでも一生懸命呼吸をしている娘の姿が在りました。
私達はその姿を見ただけでまた涙が止まらなくなり、「よく頑張ったね」「おかえり」と何度も何度も繰り返し娘に言いました。
先生がやってきて手術のお話をしてくださりました。
「穴は思ったより大きくなく、
当初、2箇所穴を開けて手術する予定が1箇所開けるだけで対応できた。
弁は三尖弁以外の2つは変形をしていて手を加えたが人口のものは使わずに済んだ。
結果、3つから逆流していた穴は2つに塞がり残り1つは逆流が見られるが量は少なくなった。
心臓を止めている時間は2時間弱と短く済み、
もうこれ以上できることはないと思い閉じた。
出血量も多くなく、不整脈もなく良好。」
とのことでした。
「ありがとうございます」と何度も涙のまま伝えました。私たちにとっては神様以上の存在でした。
picuに居られる時間は初日は家族全員で15分
と言われていたので娘をもっと見ていたかったけれど、待合室に戻り交代をしました。
そしてそこで、先ほど後からpicuの待合室に入ってきて少し離れたところに座っていたご両親のお子さんは今日の手術で亡くなってしまったということを知ってしまいました。
その事にこの日1番泣きました。
同じ日に同じ場所で手術を受け、
同じように子供の帰りを祈りながら待っている夫婦。
その辛さは本当に痛いほど分かります。
そして少し離れた場所とはいえ、知らなかったとはいえ娘の帰りを喜んでしまっていた自分たちを激しく後悔します。
娘の無事を手放して喜ぶことももう出来ずこの日は重い気持ちのままマクドナルドハウスの部屋に戻りました。
命の重さを痛いほど感じた今日のこの日を私は生涯忘れません。
憑き物が落ちたようにベッドに倒れ込みそのまま眠りにつきました。
★手術当日〜前半〜。
いよいよ手術当日です。
寝ようと頑張っても一睡も出来ずに朝を迎えてしまいました。
(付き添い入院なので)穏やかな顔をして隣で寝ている娘の寝顔を見ては涙が何度も溢れてきます。
6:15に主人が部屋に到着。(マクドナルドハウスに宿泊)
朝6:30に最後の飲み物を看護師さんがお部屋に
持ってきてくれます。
7:00までにすべて飲みきるように、とのこと。
7:00を過ぎたら飲み物一切禁止、食べ物はもちろんこの日は一切禁止です。
まだ言葉をきちんと理解できない娘に
手術前の絶食は本当に可哀想で
なるべくギリギリまで寝かしてあげたいと思いましたが、飲み物を飲まないまま下げられてしまっては大変なので無理矢理起こし、最後の麦茶を飲ませます。
何とか全て飲み干させ、看護師さんに空のコップを返します。
その後、腸を空っぽにさせるため浣腸をされます。
(手術中、万が一漏れてしまい、手術器具や臓器に細菌が入ってしまっては大変なため、とのことです)
すぐにお腹が痛くなり、私にしがみつきながら腸に溜まってるものを全て出しました。
その後、手術室からのお迎えの8:30まで待機なのですが、もうプレイルームでは遊ばせられないのでDVDを、一緒に見たり、プレイルームに行きたがる娘をなんとかなだめるために、抱っこをして病棟を一周するのを主人と交代で行いました。
8:00には主人の両親や私の両親も病室に到着。
娘は手術後、PICUに入るため、個室も今日限りで出なくてはいけなくなるため大急ぎで荷物をマクドナルドハウスのお部屋に手分けして運ぶ。
手術では
テープタイプのオムツ
でなくてはいけないため、なかなか売っていないLサイズのテープタイプオムツに付け変えます。
そして、また眠くなるシロップを飲まされます。
娘は本当にこれが嫌みたいでしがみついて嫌がります。無理矢理剥がされ、手足を押さえつけられて飲まされます。
その後、お迎えの時間までまた家族で交代で娘を抱っこして病棟をお散歩するのですが、
お迎えの時間が近づいて来ると涙がどんどん溢れてきて、娘に泣いてるところを見せて不安に思わせたくないのに止まらず、
娘にもう会えなくなってしまったらどうしようというとてつもなく大きな恐怖にかられます。
子供を失うかもしれない、という恐怖を味わうこと、普通に生活している親には分からないと思います。
分からないから子供にあんな暴言吐けるんだろうな、と見てて思うことがあります。
何も知らずに抱っこされてる娘を見てるとまた涙が止まらないのでした。
そしていよいよ時間が来て、
お迎えのストレッチャーに乗せるように言われましたが、「ストレッチャーに乗せるのではなく、親が見送れるところギリギリまで抱っこしたい」とお願いしたところアッサリ通り、抱っこして連れて行くことになりました。
ナースステーションの前を通るのですが
娘はニコニコと看護師さん達に手を振ります。
看護師さん達も「行ってらっしゃい」と皆さん笑顔で送り出してくれます。
エレベーターを一緒に待ってる間、主人も私も大号泣です。
娘を手術室に送り出す、ということ。
これが会えるのが最後になってしまうかもしれない。
娘の心臓を止める、という判断を自分たちの手で下さなくてはいけないこと。
こんなに辛かったことは人生でありませんでした。
とうとうエレベーターが手術室のある3階に到着し、娘をストレッチャーに乗せ、お別れとなります。
フロアの自動ドアが閉まる最後の最後まで
娘は私たちを見て手を振ってくれていました。
手術室に1つだけお人形を持っていけると言われたので娘はアンパンマンを選びました。
アンパンマン、どうか娘を守ってください。
号泣のままお別れした私たちは
「家族の控え室」ということころに通されます。
「手術は長丁場が予想され約7時間かかります。このお部屋に居てもいいし外に出て居てもいいです。ただしどなたか1人は部屋にいるように」
とのことでした。
手術が終わったり、何かあったら連絡が入る、PHSを渡されます。(家族控室は確かそのPHS以外は携帯は電波が入らないようになっていました)
その後、看護師さんがお部屋にやってきて、
手術が無事始まったこと、
麻酔で眠る最後の最後まで娘が泣かずに、アンパンマンを見せたら笑顔も見られたという報告を受けました。
何て強い子なんだろう。
あとはただただ信じて祈るばかりです。
また娘に会えますようにと。
手術入院〜3日目〜。
いよいよ手術が前日となりました。
前日の反省を生かし、歩くときは常に手を繋いで慎重に慎重を重ねて注意してプレイルームに連れて行きました。
明日、自分に何が起きるか何も知らない娘は大はしゃぎでプレイルームのおもちゃで遊びます。
いよいよ前日となり、どの瞬間も娘を見ると辛くなってきます。
この日は手術前日なので、
集中治療室(PICU)の方から手術当日のPICUに行くまでの流れや、過ごし方などのお話などのオリエンテーションや看護師さんからのお話など、代わる代わるお部屋に人がやってきます。
夕方には、娘だけが呼ばれ
「点滴確保」
ということで左手に針を入れられた状態で帰ってきました。
注射に泣かなかったとのこと。
まだ1歳半です。不自由になってしまった左手の違和感に嫌だと泣いてもおかしくないのに、
全く嫌がらず、全てを受け入れ、包帯を取ろうともせず、右手だけでプレイルームでも遊びます。
「また取ってくれるだろう」
と信頼をされているところにまた泣けました。
主人も同じように片手をぐるぐる巻きにし、不自由な片手にしました。
担当の看護師さんが娘の大好きな包帯の上に貼れるアンパンマンの絵を書いてくれました。
いよいよ、明日は手術です。
手術入院〜2日目〜。
昨日のベッド落下をものともせず朝から元気な娘は足のモニターを外して貰い、早速元気にプレイルーム(キッズルーム)に走って遊びに行きました。
娘のご飯はお部屋に運ばれてきたものを食べさせますが、親は病棟で飲食は出来ないので、食べる時は病棟を出なくてはいけないので当然交代制になります。
幸い主人がこの手術入院のために3週間仕事の休みを取れたので朝は主人と交代。
お昼ご飯、夜ご飯はどちらかのじーじばーばが来てくれて交代するような流れになっています。
施設内のマクドナルドハウスに泊まった主人が(個室とはいえ付き添いで部屋に泊まれるのは1人なので初日は私が娘と一緒に病室に泊まりました)
朝やって来て、娘は大喜び。
プレイルームのソファーをぴょんぴょん主人と手を繋ぎながら歩いていたらなんと
再び床へ落下してしまいました!!
娘は大泣き。主人は「脳天から落ちた!」と大慌て!
大泣きする娘は部屋に戻され
再び沢山の看護師さんやお医者さんがやってきて診察されます。
流石に2日連続頭を打ったことにより
心臓と足の両方にモニターをつけられ動きを制限されてしまいます。
「万が一脳が内出血などしていたら危なくて手術は出来ない、延期になる」
「次に落ちたら脳のCTを撮る」と言われます。
完全に親の不注意で動きが制限されてしまい、鎖で繋がれた犬のように少ししか歩くことが出来なくなり、娘はプレイルームに行きたいと「あっちあっち」と大泣きします。
ただでさえ病棟から出してあげられない可哀想な毎日なのに、走り回るのが大好きな娘なのに、風邪引いてないのに再びこんな辛い思いをさせてしまって自分達をどれだけ責めても責め足りません。
入院したらもう安心、ではなく
手術室に送り出すまでが親の仕事で
より神経質に目を離さず注意してあげなくてはいけませんでした。
可哀想な娘のために主人がお部屋の中にプレイルームを作りました。
個室なのでこの点は本当に良かったです。
全て買っておいて出してないオモチャだったので娘は大喜び。しばらくはこの室内プレイルームで遊んでくれました。
そして夕方、お医者様が部屋にやってきて
何故動きに制限をかけたのかを説明してくださりました。
心臓の手術を控えた状態で怪我をすることがどれだけ危険なのか、そしてこれ以上手術日が伸びることが娘の心臓に良くないこと
少し考えれば当然のことなのに
どこかこの入院に気持ちが後ろ向きで
手術に対する意識が足りなかったと心から反省しました。
二度とこのようなことのないように約束をした上で、日中の頭がはっきりしてる時間なら外(プレイルーム)に出ていいと、繋がれていたモニターを外してくださりました。
嬉しくて泣きそうになりました。
この日は主人が娘の病室に泊まり、
私がマクドナルドハウスに止まりました。
広いツインベッドのお部屋。
夜中、電子音や赤ちゃんの泣き声や看護師さんのバタバタする音の聞こえないお部屋。
部屋についているシャワーを浴び
柔らかいベッドに寝転がり
贅沢すぎる空間に罪悪感を感じて
妙に落ち着かない。
いよいよ手術まであと2日です。