PICU〜2日目〜。
手術当日がPICU1日目なので
PICU2日目からの記事となります。
手術の日まで毎日娘に付き添って病室で一緒に寝ていましたが、
手術日から娘はPICUに場所を移したため、個室は完全にチェックアウトをしなくてはならず、
沢山のオモチャもお洋服も全て敷地内のマクドナルドハウスに移しお部屋を完全に空にします。
(この作業はなかなか大変でした。)
昨晩初めてマクドナルドハウスに宿泊し、あまりの快適さに感動します。
夜中に他の病室の赤ちゃんの泣き声やナースコールで起こされることも、見回りの看護師さんに起こされることも、朝日で起こされることもなく、朝まで真っ暗、無音でふかふかのベッドで眠れることがどれだけ幸せなことか噛み締めます。
(※病室の付き添いですと肩幅程度しかない横幅の、固い折りたたみベッドなので長期の入院はなかなか体も辛いです(>_<))
ただし携帯の着信音は「最大限」で寝ます。
というのも、手術後は容体が不安定です。
急に何か異常が起きるかもしれない。
心臓の大手術をした直後です。
何があっても不思議ではありません。
なのでPICUの方にも
「何かあったらお電話しますのでいつでも電話を取れるようにしておいてください」
と言われていました。
なので私たちは頻繁に携帯をチェックし、
時計を見て「術後◯時間が経過した、1番危険な時間は過ぎたね」とか「術後◯時間まであと少しだね」と言い合っていました。
本当は術後の娘にずっと付き添っていたい。
だけどPICUでの面会時間が決められていたのでそれは叶わず、ただ急変にはすぐに駆けつけられるように家には帰らないで、敷地内のマクドナルドハウスに泊まることにしていました。
幸い、朝まで携帯電話がなることはありませんでした。
「連絡が何もないということは無事ということ」
私たちは娘が無事に朝を迎えられたことがとても嬉しく何日ぶりかの清々しい朝を迎えます。
PICUの面会時間は
14:00〜16:00
17:00〜21:00
でした。
(16:00〜17:00の間は当直の方との入れ替わりの申し送りなどで入れないみたいです。)
午前中はお部屋に入ることができないので
子供を出産してから初めてなんじゃないかというくらいの長い時間をゆっくり過ごす事になります。
早く娘に会いたくて14:00が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
14:00になり私達は娘のいるPICUに飛んでいきます。
眠ったままで相変わらず管だらけの娘でしたが、呼吸器が外れていて自分で呼吸が出来るようになっていました。
加湿器のような蒸気が出るものが口に当てられていて呼吸を助けてくれているみたいです。
首に思いっきりささった注射針(そこからお薬をいれているみたいです)
鼻から胃まで通っている管がなんとも痛々しい。
それでも何より娘が生きていることが嬉しく、
沢山話しかけたりします。
そこでアクシデントが!!
なんと、主人が耳元で娘の名前を何度も呼びかけたらその声に反応して目が覚めてしまったのです!!
激痛なのか娘は大泣き、看護師さんが慌ててやってきて薬によりまた眠らされます。
眠っていても声は聞こえるようです。
話しかけるのは要注意ということが分かりました。
頭を撫でるのすら怖くなってしまいました。
その後、眠っている娘に対して特にすることがなくなってしまったので一度退出し、
また17:00に出直しました。
そこで看護師さんから
16:00に流動食(鼻の管から胃に流動食を流し入れるみたいです)が始まり、吐いたりせず食べられたとのこと。
私たちはそれを聞いて安心し、眠った娘を優しく撫で、PICUを後にしました。
そうなんです、入院して初めて
家に帰ることにしました。
家に帰るのは娘が退院するときだと思ってはいたのですが、娘に変に声をかけてまた起こしてしまっては大変で、やる事もないですし、
次の日のPICUの面会時間も14:00からなので、
マクドナルドハウスに泊まるより
家に帰った方がいいという結論になりました。
手術は成功し、
PICUでの術後の経過も順調で流動食も問題なく始まり、私たちは最高に幸せな気持ちで車に乗り込みました。
帰りに夜ご飯としてしゃぶしゃぶ屋さんに寄り、2人でお祝いをしました。
娘を出産してから2人で食事をすること自体も久しぶりですし、何より産んでからずっと心につっかえていた心臓病の手術が無事終わり、娘も順調ということでこんなに幸せな気持ちは本当に久しぶりでした。
私たちはハイになっていました。
家に帰ってからも大はしゃぎでした。
そして幸せを感じるとともに、
娘のいない家は静かで広くて
また3人で帰ってきたいと思いました。
だけど私達はまだこの時は知りませんでした。
本当の地獄はこれからだということに。
はい、間違いなくPICUでの日々が人生で一番辛かったです。辛くて辛くて娘の前で大泣きしました。
PICUは子供とっても親にとっても、
とても大変で覚悟のいる場所でした。